第12話 些末な違和感

 報告書は、夕刻のうちに一度まとめられた。

 ローデルへ戻ったその日の夜、アシュレイはミレアから借りた詰所の机で、北の監視道で見たものを一つずつ書き起こしていた。

 討伐済み個体の記録。
 白靄残滓の分布。
 監視小屋跡周辺における異変流動の集中。
 封域側からの流れと北尾根側からの流れが交差している可能性。

 そこまでは、確認役として当然の記述だ。

 問題は、その先だった。

 机の片隅に置いた仮綴じの紙束へ視線を落とす。ローデルの件だけでなく、“未確認の銀髪少女”に関するメモも別紙にまとめてある。

 アシュレイは筆を止めた。

 言葉にしにくい。

 見たものは確かにある。
 だが、それをどう表現するかが難しい。

 強い。
 それだけなら簡単だ。

 若く見えるのに技量が高い。
 それも書ける。

 だが、それでは足りない。

 あの少女の異様さは、単純な戦力評価だけでは収まらなかった。地図の見方、視界の取り方、間合いの詰め方、崩しの選択、危険判断の静かさ。どれも個別なら説明がつく。だが、全部が重なると妙な輪郭になる。

 古い。

 そして、完成されすぎている。

「……厄介だな」

 ひとりごちる。

 記録役にとって、言葉にしづらい違和感ほど始末に困るものはない。勝手な推測に寄せれば精度を失う。かといって無難に削れば、本来伝わるべきものまで消える。

 結局、アシュレイは余計な断定を捨てることにした。

 書くべきは、見たことだけだ。
 判断は、もっと上に委ねればいい。

 筆を取り直す。

 当該少女の戦闘様式は、近年の地方術戦系統および一般的訓練体系と一致しない。
 武器への依存度が低く、位置取りと崩しを主軸とした戦闘判断が極めて洗練されている。
 古い戦域式の発想を思わせる部分があるが、現所属・師系・流派等は判別不能。
 外見年齢と技量の成熟度に明確な乖離あり。

 そこで少し迷い、最後に一行だけ付け加えた。

 補記:単なる高練度者として処理するには、所作・視野・判断の一貫性に説明しづらい違和感が残る。

 書いてしまえば、それはひどく静かな文だった。

 煽りも、誇張もない。
 ただ、現場を見た者にしか分からない小さな引っかかりだけが残るように整えた。

 アシュレイは紙を見返し、ようやく筆を置いた。

 これでいい。
 少なくとも、自分に見えた違和感は残した。

 それが意味を持つかどうかは、受け取る側の問題だ。

     ◇

 その報告が届いたのは、さらに二日後の午後だった。

 ローデルよりずっと南。
 山を下り、街道を跨ぎ、古い記録と照会文書が集まる管理棟の一角。

 窓は高く、光は淡く、棚には年代ごとに整理された記録筒が並んでいる。華美さとは無縁の部屋だった。だが整い方には、無駄を嫌う者の気配がある。

 その机に向かっていた女は、差し出された文書束を受け取り、封蝋を解いた。

「ローデルからです」

 側に立つ部下が簡潔に告げる。

 フィリーネは返事をせず、まず差出元の整理印を確認した。
 ローデル仮拠点。
 南側管理経由。
 旧戦域記録保全局・第二管理系統照会案件への追加現地報告。

 それだけなら、珍しいものではない。

 辺境の小拠点で異変が起こり、関連する記録照会へ追送が入る。記録局に籍を置く彼女の机へ、そういう紙が来ること自体は日常の範囲内だった。

 だが、最初の一枚を読んだところで、その手がわずかに止まった。

 ローデル近辺にて、災害級相当個体を確認。
 未確認の銀髪少女が討伐に寄与――ではない。
 単独討伐。

 フィリーネの目が、そこで一度だけ細くなる。

 続きを読む。
 白靄発生型。
 核状反応あり。
 北側監視道に流動の集中。
 ここまでは、記録として処理できる。

 問題は別紙だった。

 現地確認役、アシュレイによる所感。

 フィリーネは何も言わず、静かにそれを開いた。
 部屋の中にいる部下は、彼女が無言になると決して急かさない。そういう沈黙に慣れている。

 視線が文字を追う。

 近年の地方術戦系統と一致しない。
 武器への依存が薄い。
 位置取りと崩しが主軸。
 古い戦域式を思わせる発想。
 外見年齢と技量の成熟度の乖離。
 説明しづらい違和感。

 そこまで読んで、フィリーネは紙を置いた。

 部屋は静かだった。
 窓の外で風が一度だけ枝を鳴らし、そのあとまた何も聞こえなくなる。

「……フィリーネ様?」

 部下の声で、ようやく彼女は視線を上げた。

「続きを」
「はい」

 そう言ったものの、すでに頭の中では別の線が動き始めていた。

 銀髪の少女。
 災害級を単独討伐。
 今の主流とは異なる戦闘様式。
 古い戦域式を思わせる視野。
 外見と技量の不一致。

 ひとつひとつは、決定打ではない。

 似た例が絶対にないとも言わない。辺境には時折、異様に練度の高い者が埋もれていることもある。突然変異のような強者が現れたところで、それだけなら記録案件として処理できる。

 だが。

「……妙ですね」

 フィリーネは、自分でも気づかぬうちにそう呟いていた。

「何かございましたか?」
「いいえ」

 首を横に振る。

 理屈では説明できない。
 ただ、違和感がある。

 それも、報告書の中にある言葉ひとつではない。
 むしろ、書き手が断定を避けていること自体が引っかかる。アシュレイは軽率に騒ぐ人間ではない。そんな彼が“説明しづらい違和感”を残した。それはつまり、見たものが単純な高練度者では片づかなかったということだ。

 フィリーネは椅子の背へ身を預けず、机の上へもう一度紙を並べた。

 ローデル。
 北側監視道。
 旧戦域記録の照会ライン。
 異変の発生位置。

 それらの位置関係を頭の中で重ねる。
 その上に、“銀髪の少女”という異物を置く。

 理由のない直感を、彼女は好まない。
 だが、長く記録と戦場の両方に身を置いていれば、理屈になる前の引っかかりが当たることも知っている。

 そして今回のそれは、どうにも見過ごしがたい。

「現地確認は継続中です」
 部下が言った。
「必要であれば、追加の確認役を――」
「いえ」

 フィリーネは静かに遮った。

「私が行きます」
「……はい?」

 珍しく、部下の声が少しだけ揺れた。

「ローデルへ」
 フィリーネは紙束を整えながら言う。
「北側の監視道と、異変流動の確認。それから、現地報告の補完も必要でしょう」
「ですが、それなら別の確認役を増員すれば」
「記録案件として、直接見る価値があります」
「それは……」

 もっともな建前だった。

 部下は反論しかけ、結局飲み込む。フィリーネがこういう言い方をするとき、大抵はもう決めている。無理に押し返しても変わらないのを知っているのだ。

「行程を組みます」
「お願いします」
「急ぎで?」
「可能な限り」

 それ以上の説明はしなかった。
 できなかった、と言ってもよい。

 なぜ自分で行くのか。
 報告書の何がそこまで引っかかるのか。
 それを言葉にしようとすると、どれも少しずつ違う。

 ただ、紙の上の違和感が、どうしても机上で閉じない。

 銀髪の少女。
 古い戦い方。
 説明しづらい所作の一貫性。
 北の旧戦域線上で起きた件。

 それだけで人を動かすには、あまりに些末だ。
 だが、その些末さこそが厄介だった。

 もし本当に無関係なら、現地で見て切り捨てればいい。
 そう確認するために行くのだと、フィリーネは自分の中で整理した。

 そうでなければ困る。

 書類を閉じる。
 部下はすでに必要な準備のため部屋を出ていた。

 ひとりになって、フィリーネはしばらく動かなかった。
 窓から差す午後の光が、机の端にだけ落ちている。

 視線を落とすと、報告書の最後の一行が目に入った。

 説明しづらい違和感が残る。

「……そういうところです」

 誰に言うでもなく、静かに漏らした。

 説明しづらい。
 だからこそ、引っかかる。

 理屈が後からついてくる種類の感覚を、彼女は否定できなかった。否定して、それで大事なものを見落としたくもなかった。

 フィリーネは立ち上がり、窓の外へ目を向ける。

 ローデルは遠い。
 山道は細く、確認には時間がかかるだろう。
 到着した頃には、件の少女がまだいる保証すらない。

 それでも行く。

 その判断に、もう迷いはなかった。

     ◇

 その頃ローデルでは、セレネが夕方の広場を歩いていた。

 空はすでに薄い茜へ傾き始めている。監視道から戻って以来、アシュレイは詰所に籠もって何かを書き続けていたし、ミレアは変わらず帳面と人の間を忙しなく動いている。カイルは疲れているはずなのに、なぜかいつもより喋る。

「でさ、あのアシュレイって人、やっぱ変だよな」
「何がだ」
「静かすぎる」
「お前が騒がしすぎるんだろう」
「それは否定しないけど!」

 否定しないのか、と少し思う。

 広場の端では、昨日よりもはっきりと人の目がこちらを追っていた。恐れと興味、その中間くらいの視線だ。慣れたくはないが、慣れるしかないのかもしれない。

「……なあ、セレネ」
 カイルが少しだけ声を落とした。
「外からまた誰か来ると思うか?」
「来るだろうな」
「やっぱり」
「昨日今日の話で済む規模じゃない」

 カイルは口を尖らせる。

 だがその顔には、嫌そうな色と同じくらい、どこか落ち着かない期待も混じっていた。辺境の小拠点にとって、外の動きは面倒であり、同時に変化でもある。

「面倒が増えるな」
 セレネが言うと、カイルは肩をすくめた。
「最近そればっか言ってる気がする」
「実際そうだからな」
「否定できないのが嫌なんだよなあ」

 そのぼやきを聞きながら、セレネは空を見上げた。

 風は冷たい。
 北の異変はまだ終わっていない。
 外への報告も、たぶんもう動き始めている。

 どこか遠くで、それを読む誰かがいる。
 何を思うかは分からない。
 分からなくていい、とまだ言い切れる段階でもなくなってきた。

 広場を渡る風が、銀白の髪を揺らす。

 その細い流れの先で、ローデルとセレネの名を載せた報告は、いま確かに別の足音を動かし始めていた。


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